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マイナー腐女子文字ぼやき

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年相応の一般人っぽくなりたいオタクのもがきまとめ ー人間関係編ー

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 随分日が空いてしまった。ちなみに前回はこちら。
タイトルと中身が合っていないきもしますが、最近の人生での感想をまとめつつ、年相応になれるように頑張る記事です。今回は人間関係中心!
 
 あまりお気軽に書きにくい内容でもあるので、なかなかパソコンに向かい合う気持ちはおきませんでしたね。
 まぁ、余裕がある時にこういうことはしましょう!という気持ち。わたしの今年の目標は、自分に優しく!
 

 

①家族と距離をとることを考えてもいい。

 
 こんなことを思ってしまっては、他人から「親不孝な人間だ」と思われてしまうかもと考えるかもしれません。
ですが、わたしは、社会人以降は、家族は「平等な最も近しい他人」だと考えます。
一人暮らしで別世帯になってからは、より強く感じるようになりました。
 

親の子離れを手伝って

 親と離れて暮らすことは、親の「子離れ」も促します。「私の子供」という幼いころの地続きの視線が退き、目の前からいなくなることで、「一人の人間」で「手をかけてやる期間が終わり、子供は子供で自分の人生を自ら作っていく」という意識が持ちやすくなるのではないか、と考えています。
(それでも、干渉してくるのなら、それは「毒親」と呼ばれる奴に片足突っ込んだ存在かもしれないですね。子離れが出来ていない)
 
 わたしたちが、親の視界から外れた世界を選ぶことは、別に親不孝なことではありません。親に、長い育児から解放させ、「子供中心」ではなく「夫婦」や「自分の老後や人生」を考える機会を提供するのです。もう自分の人生に戻っていいですよ、という合図として、わたしは社会人になって、一人暮らしを始めるようになりました。
 

自己責任と自由の間で生きられる

 それだけではありません。家族と距離を取ることで、こちらもメリットが生まれます。
 まずは、「自由」が生まれること。なにを食べてもいいし、なにを着てもいい。お金さえあれば、どこに住んでも良い。喜ばしいことでした。ですが、「自由」とは「すべて自己責任とすること」という文脈を持つので、体調管理もお金の使い方も、どうしようもない方向に落ちて行っても、他人のせいには出来なくなります。世知辛い。

親が居なくなる将来に備えて

 もう一つ、家を出て、一人で暮らすことには大切な意味があります。家族と離れて暮らすことは、いつかは必ず訪れる「両親が亡くなること、亡くなった後の生活」を事前に体験することが出来ます。今は、コロナで余計帰省にも慎重になる時期なので、これに気が付きました。
 
 あまり連絡も取らず、日々一人で生きていると、「両親が亡くなった後の世界ってこういう風なのかな」とふと思う日があります。寂寥感も感じつつも、「一人で生きることが出来ているのだな」という気持ちは、わたしに自信もくれました。これは、最も一人暮らしをして良かったことの一つかもしれません。
自分の稼ぎで自分を養っていく。生活を運営し、自分の健康状態も自分で管理する。一人でも多くのことが出来るという発見は、やはりうれしいものです。

一人暮らしと連絡頻度

 時々、連絡も取りますが、わたしは基本的に「報告することが出来るまでは、連絡を取らない」という姿勢です。家族から、近況報告として連絡がくれば、もちろん返信はします。ですが、自分からはあまりしません。良い報告が出来ない時に、愚痴を聞かせることは相手の時間を奪うことになるので、どうにか一人で処理できるようにしたいところです。
これは、ラジオのスタンスとも似通うものがあります。何も話す内容がないなら投稿しないということ。(これはまた別の機会に考えたい話です)
まぁ、家族や現実の人間はいつ会えなくなるかわかりません。後悔のない範囲での自立を頑張りたいです。
 
 

②学生時代の友達に違和感を感じていませんか。(友人関係)

 
久々のランチなのに、良かったのは料理の味だけだった――つい最近、体験しました。
自分自身も流れに任せて、うんざりするような話をしていないでしょうか。相手の話にも違和感があって、つい批判的な言葉が出たかもしれません。
 
 正直、人間関係は、「相手はそう考えるのだなぁ」と自分とは違う意見に興味がわかなくなったら、割と終わった関係かも。
あとは、相手の話が全部マウントや自慢に聞こえたり。話を聞いてくれなかったり、批判されたり。帰り道で「やけに疲れる」と感じる友達とは、結局縁が切れてしまいました。
縁が切れてどうなったのか、といえば、何もなかったです。相手から誘いも来ないし、自分からもする気にもなれず。わたし達っていつから終わってたんだろうと、ふと思いました。
コロナで思考する暇が出来て、ネガティブになりがちです。
 

付き合いの長い友達だから、親友であるという訳ではない

 
 付き合いが長い人との関係も要注意。相手が自分に甘えていて、負担になっているかもしれません。(逆もまたしかり)
「最近お店を決めてくれないなぁ。あれ、誕生日プレゼントは私しか渡してないかも?ていうか、この前の発言、嫌味だったりした?あの一言、ちょっと傷ついたな」
ふと気が付いた友達への違和感を無視するのは良くありません。そもそも、私たちは出会ってから何年経ったか。それでお互いの立場や環境はどう変わったか。
考えれば、「わたし達の共通点、ない?」と思い当たるかもしれません。
あの頃から二人は、もう全然違う道に進んでいたということを自覚すれば、最近上手くいっていないということも不思議ではありません。
 

気が付かなくても二人は離れている

 一年でも二年でも、人は変わるもの。自分で気が付かずとも、日々、お互い違う場所で生きていれば、思想も将来の目標も変わります。
人生が進んでいくごとに、人の入れ替わりがあるのは仕方のないこと、と思うようにしています。
悲しい気持ちもあるかもしれませんが、仲が良かった時にみてみぬ振りしたあの子との違和感にぶち当たっているだけの可能性もあります。
仲良かった頃って、本当に仲良かったでしょうか。そういえば、という思い出もありませんか?「あの頃」を美化している可能性もあります。
 

縁を切ったらお友達がいなくなってしまう、という問題(特に同人関係)

 「でも、あの子ぐらいじゃない?私の趣味を理解してくれているの……」問題。
これ、オタクにありがちだな~と周りを見ていると感じます。知り合いのオタクもマイナージャンルの女で、この問題で悩んでいました。
「コラボカフェに行くのも、地方遠征するのも、その子と一緒。同じ話で盛り上がるのって、最高!」と初めは楽しそうだったのですが、
遠征先のホテル代やチケット代を払ってくれない、SNSに全力で現実の自分を蔑ろにする等我慢ならなくなってしまっていました。
それでもしばらくは一緒のスペースでイベントに出ていたようで(やめれば!?と思ったのですが)、「かなりのストレスだっただろうなぁ」と思います。
 
 私の場合は、壁打ち主義者の同人女なので、こういう交流がつらい問題は皆無ですが(いや、界隈に無視はされるか)
これはどう片付けたらいいのだろう。でも、多分ですが、これも「学生時代の友人」との付き合いと変わらないのでは。
学校や、同じジャンルという共通点で結ばれているだけで、そこから外れると二人はまるっきり方向性が違う関係だと思います。
 共通点から外れても、価値観が合う友達と出会えたらどんなに楽しいだろう、でもこれは欲張りかもしれませんね。
辛くなったら、縁を切ったり、一人になってみたり、別の道があることも忘れずに!
 

人間関係が辛い同人女、壁打ちは怖くないよ!

 壁打ちで山奥の工房で粘土を捏ねている職人気分の同人もいいですよ。個人サイト持ったりね。
同人人間関係をばっさりきって、(それが厳しいなら身内をフォローしない壁打ちアカウント)
一度何が好きなのか、何が書きたいのか、何に萌えるのか、集中して見てもいいかもしれません。
私は孤独でも自分の趣味、性癖に真っすぐな人間は、素晴らしいと思います。
「私はこれが誰にも言えなかったけど、好きなの!」という作品は、滅茶苦茶魅力あふれてます。
流行っているから描く絵より、ずっと惹きつけられる。
そういう作品が世の中にこれからも生まれますように!
 
 
……という感じで今回は以上です。ずっと書こう書こうとしつつ、なかなか自分の中で折り合いをつけることも出来ず、悩んでいた話題でした。
外見編から随分時間が経ち、自分も色々変化があり、最近落ち着いてきました。
 
いつになるかは定かではないですが、次は、「長く働き続ける為に大事かなと思ったこと」とか書きたいです。
 
では、また今度!ここまで読んでくださり、ありがとうございました。